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2009
06
27

放送直前!手厳しい記事も。

mediausでは、手厳しい記事が~。
安易に眉をしかめることなく、興味深く読んでみた
なるへそ~(古っ、

【記事】私が‘友へ’を見ない理由
[週末,そして柔らかいメディア]男性の関係イデオロギーが嫌いだ
2009年06月27日(土)12:04:59アン・ヨンチュン記者
<友へ>は該当年度最高の話題作という表現だけでは確かに何か不足した映画だ。
2001年封切り当時800万以上の観客を劇場でかき集めた不世出の映画であった。
以後組織暴力が登場したすべての映画が借金をしているといっても良い程<友へ>は一つのドラマ的典型であったし,大衆文化のモデルだった。
そして8年余りぶりに<友へ>がドラマに戻る。
時間の流れによりユ・オソンはキム・ミンジュンで,チャン・ドンゴンはヒョンビンに変わる世代交代(!)を成し遂げたが,その他のものなどはほとんど完ぺきでする程同じだ。
映画とドラマがはえ縄漁業になって,大衆文化を導いた時期の光もたくさん見送っている。
映画の不況は深くなって,ドラマ韓流は新しい突破口を作れずにいる実情だ。
総製作費75億ウォンを上回るというこのプロジェクトが侮れなく感じられる理由だ。
‘一緒にいる時は何も恐ろしいのがなかった’記憶はもう‘私たちの伝説’に変わった。
今週週末企画は友へに関する3編の文だ。
各々友への文化史的意味,監督論そして製作論だ。
かすかな記憶と好奇心だけでチャンネルが決定されるのではないだろうが,楽しい鑑賞を期待する。
私は大韓民国国民何人に一人の割合で見たという映画は熱心に避ける。
(恋愛する時は例外だ。
止む得ない事情は話しなくてもよく分かることだ。) <友へ>がそのような映画であった。
検索をしてみるとすでに2001年だった。
その後ケーブル放送で数多く編成されまくったが,最後まで没入してみたことは一度もない。
この映画は私にいくつかのカットの資料画面といくつかの節の流行語だけのことだ。
しかし何の映画なのかは私なりに通じている。
どこかでこの映画話が出れば他の監督作品の<シルミド> <ブラザーフッド>などが共に浮び上がるまれな連想習慣と共に。
これら映画は記録的な興行成績を上げたし,映画館外でも(部分または全体が)数えきれない程繰り返したし,そうして破片化された記号らが自ら叙事を作り出したし,テキストを見なかった人もデジャヴ(既視感)を感じるほどになったという特徴を共有する。
それではなくても,これら映画は必ずつかんで,言うこと困難な一つの曖昧な系列体でスクラムを組んで私に近づく。
私がこれら映画を事後的に批判するに先立ち早くから無視する無意識的理由もそれに結びつくのか分からない。
とにかく私は<友へ>の話をしなければならない。
‘見なくて話す<友へ>の話’.
言ってみれば私はどの映画評論家や映画記者もしてみなかった作業を今試みている。
何のギネスブック記録挑戦同じ奇抜な試みではない。
ただ食を解決する所で<友へ>に対して使わなくてはいけない状況に追い出されたし,それでもあえて過去の映画を探して,鑑賞しなければならない程今回の宿題に崇高な意を抱いているものでもないと見るとそんなになった。
すでに8年歳月が流れた。
テキストはすでに社会中に溶解した。
その社会の構成員の自分にも今は発言権がある。
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▲映画<友へ>ポスター.
2001年,<友へ>は‘映画’を越えて‘社会現象’の隊列に上った。
818万人,当時としては驚異的だった観客数は,好事家ではなくても良質転換の法則を思い出させるのに充分だった。
映画雑誌はもちろん新聞などでも成功要因を問い詰めるのを越えて,全く真剣な論争が続いた。
映画の完成度や映画会社(史)/産業的意味などがつかれたし,映画が観客と社会の反応を作動させた棋戦も分析された。
映画俳優出身カン・シンソンである当時議員は映画の‘暴力’と‘悪口’を批判する対政府質問をしながら,‘政治コメディー’または‘コメディー政治’の新しいジャンルを切り開くこともした。
商業映画一本に対するこういう過度な社会的没入自体が<友へ>の最大の成就だったのかも分からない。
もちろん没入の‘激発’装置は映画中に内在していたし,それは偶然でも大変精巧に構成されて,映画と個別者が反応して,個別者と個別者が反応して,ついに爆発的な社会的反応の連鎖で現れた。
引かれてみたりののしりながら,見て,夢幻的に見たり解剖するように見て,同一視しながら見たり羨望しながら,見て,追憶しながら見たり推測しながら,見て,遅くでも見たり遅れをとるまいと見て…,そして絶賛しながら,推薦したり止めながら,本来推薦して….
年を召した妻の母が手の平をずっとぶつかりながら“アンさん,ユ・オソンとても素晴らしかったよ”を連発して,若くて賢い女性後輩が注目を45度上へ向かって“チャン・ドンゴンにユ・オソンまで,これは祝福だ~”として鼻声を出す時,すでに判断は立った。
男性映画と聞いた作品が女性らを惹かれたとすれば,女性らのためにも男性らが見る現象が現れることだった。
映画はすべての個別者などに個別的に照応できる程のディテールを成就しながらも,性差と世代差を横断できる共通の感帯をコード化したことだった。
評者らはそれを概して‘思い出’と‘友情’で導き出した。
しかし思い出と友情は創意的組合でない。
二つは本来親和性が無性に強い。
年を取りながら世の中を生きるということは友情を持続的に過去型で送別するのだ。
成人に友情はそのように喚起のしくみが介入する主題のようなものだ。
それで思い出/友情または思い出-友情は<友へ>を社会的現象まで引き上げたコードの役割を全て耐えられるのに手にあまる。
(友情の映画は大部分思い出の映画だ。)私はそれよりはこの映画が設定した‘暴力に対する視線’で答えを探すのがより良いようだ。
暴力を眺めるこの映画の視線は模範的であってできなくて,大衆的だ。
<友へ>は監督の自伝的話と聞いた。
監督は映画の中友へらの一員で参加しながら,同時にナレイターだ。
映画は彼の視線で構成されて再現される。
しかし彼は映画を支配する圧倒的暴力では部外者だ。
暴力世界のライバルの友とは違い,彼らと競争の層上が違う彼の友情には物理的な葛藤がない。
彼は友情と暴力が複雑に寝返りを打つ二人をただ眺めて,羨んで,心配して,胸痛く感じるだけだ。
彼の視線は介入しはしなくても連結している者の視線だ。
そこで暴力は,たとえ友へを殺して死ぬ悲劇的矛盾でも,ロマンの一部を構成する。
(介入した者の視線で再現された<チャッペ>(*The City of Violence)の散り乱れた質感と比較してみれば差が明確だ。)
それはまもなく暴力が圧倒する成長期を生き延びた韓国社会大多数男性らの視線と一致する。
成長期の最も強力な共同体の学校は支配権力の暴力から暴力を学習して,学習した暴力をまた同じ年頃の間で行使したり行使されて,水平的・垂直的関係が友情という垣根の中で矛盾的に共存する空間だ。
そのうち一部は支配権力に(暴力的に)抵抗して排除されて,学校の外の新しい(暴力的)共同体に移るが,大多数はこの社会が承認した社会化の安全はしごを受けてかろうじて上に上がる。
彼らに成長期の暴力は‘恐怖’と‘羨望’という矛盾した闘士の対象だ。
制服とチンピラはこれに関するメタファーだ。
(男性らが映画を見ながら,ナレイターと同一視過程を体験するならば,女性らはナレイターの視線で‘蒸留’なった映画の中現実を俳優らの卓越した性的資源と結合させて,ファンタジー化するようだった。
しかしこういう認識は男性の私としては不充分なことではあるが誤解に基づいたことである好都合なのでこれ以上議論する度胸がない。)
思い出が胸を詰まって感じでよく聞こえなくするのは過ぎ去った時間のくびき中に捕縛されているかすかな残念さためだけではない。
思い出は現在が過去を呼び出したシークエンスだ。
<友へ>の興行はおとなになった後にも終わりなしにぶつからなければならない支配権力の暴力に対して思い出という脱出口にあふれ出たエクソダス現象であったかも分からない。
しかし映画は‘友情’という無限感嘆の計数の風船中に暴力の否定的要素まで皆追い詰めることによって現実に対する退行的反応を集団化した疑惑が濃厚だ。
<友へ>は道徳主義者などには危険な映画だったのか分からないが,支配権力には非常に安全な映画であった。
それで<友へ>の卓越した成就以後韓国映画界が‘組織暴力コメディー’というジャンルだとしか進路を捉えることができなかったことではないだろうか。
8年後TVドラマを通じて,映画がよみがえることになった社会文化的脈絡とそれがこの社会に垂らす光と影がとても気になる。
2009年韓国社会の暴力は<友へ>のモンタージュに全て捉えられるのか,ひょっとして今は育成会長息子の暴力が同じ年頃はもちろん教師まで掌握した状況設定がさらに現実的でないだろうかと.
だとしても私はドラマ<友へ>を見ないだろう。
私は関係,特に男性的関係に関する支配的イデオロギーが不快で,すべての事件と現象,事態を特定の男性の関係イデオロギーで還元することに対して先験的な拒否感が入る。
それが友情(友へ)でも,戦友愛(シルミド)入った,兄弟愛(ブラザーフッド)入った….
それで私は同窓会に出て行かない。


【記事】‘陳腐’と‘進化’の境界に立ったカク・キョンテク
[週末,そして柔らかいメディア] ‘友へ’は伝説になるだろうか?
2009年06月27日(土)10:38:27ワングン/ミディブックス エディター
ルネサンス(renaissance),社会あらゆる分野が難しかったりあるいは退行する呪術で大騒ぎ巫女祭りが広がっている時期だ。
今しようとする話はもしかしたら,それなりに全てのものが美しかったですと記憶されたそのような時期に関することかも知れない。
記憶,思い出,ロマンと同じ単語らが世の中を支配した話.
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▲ <友へ,私たちの伝説>製作発表会(c)mbc
90年代中盤以後から2000年序盤の数年までは断然全てのものが韓国映画にはでに作用した時期だった。
ルネサンスの波が韓国映画に絶頂の感泣を及ぼした時期だったといおうか。
映画の爆発力は他のすべての文化ジャンルを断然圧倒した。
まだミステリーのようなその奇異な現象に対し,韓国映画のルネサンスを可能にした根源が何なのかに関しては入り乱れていた‘正月’らがある。
だが今しようとする話は今は対するニウスをしない劇場を探して行かなければならないルネサンス以後の悲哀に関することではない。
むしろ誰も否めない過去の事実に関することだ。
カク・キョンテクの<友へ>は韓国映画のルネサンス全体をあわせて最も派手な一場面だった。
それにもかかわらず,カク・キョンテクの作品論を整理することは色々な面でいかにも強情そうに感じられる。
彼はキム・ギドクのように踏襲と進化の間の境界で孤独な綱渡りをしてきたのでもなくて,パク・チャヌクのように自分だけの固有な世界を最後まで押し通して,観客らを慌てるようにさせてきたことはより一層違う。
かと言ってポン・ジュノ監督のように持続的で安定したフィルモグラフィーを書いてきたのでもなくて,ホン・サンスのように資本と不和でも映画文法的に意味ある作品をしてくることもなかった。
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▲ <ヒザ打ち導師>に出演したクァク・キョンテク監督
むしろ彼の映画はいつも釜山の周囲をうろつく男たちの残酷史に関し話す時だけ光っただけで,‘サラン,信頼,希望その中で第一はいつも義理’という過激に単純な世界観を説明してきた陳腐なフィルモグラフィーを持っている。
彼はたびたび最高の俳優らを一気に収めてあきれる駄作を作ったし,ブロックバスターの文法を正しく理解できなくて,投資された資本と不和を体験してきた。
言ってみれば,彼は真顔になって過剰な言語で立ててもらうには不足してそれでも無視して行き過ぎるにはとても熱情的な監督だ。
それでは,彼に対して,何をいわなければならないことであろうか?
カク・キョンテクは相変らず<友へ>だ。
彼は総8編の映画を演出したし,<友へ>以後だけでも5編の映画をもっとしたが相変らず<友へ>の監督という称号を脱げずにいる。
これは単純に彼の映画中に<友へ>が最も大衆的に成功を収めたためだけではない。
<友へ>以前の彼の映画はとても取るに足りなかったし,<友へ>以後の彼の映画は<友へ>に対する変奏だとか踏襲あるいは決別のための努力だっただけだった。
例えば,<チェムピオン>(2002)のキム・ドゥックは死を辞さない認定闘争を行ったドンスの制度化されたバージョンであるだけであったし,<マット・ボーイ>(2003)のチョン・ウソンは悲壮美を除去した運命の友らはどうしてなるのかに関する話であった。
<タイフーン>(2005)は慶尚道(キョンサンド)なまりを使わない条件でのカク・キョンテク映画がどれくらいつまらなくなりえるかを見せたし,<サラン>(2007)は結局,クァク・キョンテク監督が立っている席が相変らず<友へ>のその場であることを切切であるように表わした映画であった。
そして彼は<目には目歯には歯>(2008)を経て,本当にまた<友へ>に戻った。
あまりにも明確な一つを除いて,それほど大衆の賛辞を受ける映画を作ることができなかったし,停滞に陥った感覚,行き過ぎた自意識そしてそれ以外のどんな事がまぜこぜになって,評壇の支持を引き出せなかったはっきり感じられた下落傾向の監督が戦時の支配者で留まらないで,同時代の演出者に戻った。
そして彼の武器は相変らず彼の世界観が世の中を支配した同じ話だ。
20部作で製作される友へは‘私たちの伝説’という取っ手を付けている。
先立って話した記憶,思い出,ロマンのようなものらを積極的に呼び出す文章だ。
<友へ>が韓国映画のルネサンスを記録したならば,このドラマはそのルネサンス以後のルネサンスを復元する夢を見るプロジェクトかも分からない。
この文に与えられた本来の目的は‘カク・キョンテク論’を使うことだった。
着実に同じ話をしている彼の跡らを見回しながら,カク・キョンテク個人にとても多い荷物を消すようで申し訳ないが,ドラマ<友へ>がどう映画<友へ>きて,その以後露出した彼の限界を試験する作家としての最後の岐路ではないだろうかという気がした。
女性を男性の運命に従属した副次的存在で扱うという誤解に関し彼は補強されたナラティブ(*物語)を持ってブラウン管を通じて,どうにか答えなければならないだろう。
のんびりとした慶尚道(キョンサンド)なまりを消せば想像力に制約が起きるという世間の評価に対して彼はその上に悪口まで奪われたまま不特定普遍の目の高さに合うこくを20部中ずっと維持しなければならない試験に入っている。
100%事前製作というともしかしたらすでにサイコロは投げられたことなのかも分からない。
映画<友へ>が封切った頃,しばらく映画に陥って過ごしていた。
メガヒットを記録した映画に寛大でない映画通らの間に挟まっていたが,私はその映画をよさげに見た。
韓国社会で男はそのように一回ぐらい誰でも‘ダイ・バッド’の運命に関する想像の翼を広げながら育つ。
ぴったり,そこまでだった。
8年の時間が流れた。
時間を耐えてきたカク・キョンテクは再びマッチョの話をするだろうか?でなければ人の話に進化するだろうか?
(出処:mediaus.co.kr)
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