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2009
08
11

キム・ミンジュン@DAZED7月号

【記事】Man of Honor_キム・ミンジュン

Man of Honor

三回目だ。
キム・ミンジュンに会うのは今回が三回目だ。
その時も今でもアナログ レコーダのテープはやぼったくて誠実なリズムに帰った。
その時も今でもキム・ミンジュンは何でも念入りに覗いて見てきちんと真剣だった。
その6年間すりへって色褪せて老いたことは古くなったカセットテープだけだった。
そしてキム・ミンジュンはこのインタビューを複雑ですてきに使う必要はないといった。

#1 2003年10月,デザイナー ウン・ヨンミファッションショー バックステージ
ドラマ<茶母>は‘茶母廃人’という新人類と‘チャン・ソンベク’を残した。
なので,キム・ミンジュンでなくチャン・ソンベクだったようだ。
彼は早く来た。
狭いバックステージの片隅に置かれた椅子に座って,イヤホンで音楽を聞いていた。
エディターは彼に握手を求めながら‘ア,チャン・ソンベクだ’と思ったし,彼は‘それは違ったようですが’という澄みきっている表情になった。
そして‘あなたはどんな人なのか’を尋ねた時,‘皆考えることとはちがう人だ’と禅問答をした。

#2 2008年2月,両水里(ヤンスリ)総合撮影所スタジオ5
‘映画のようなファッション画報’がコンセプトだったが結論的には‘映画ぐらい苦労するファッション画報’になった。
一日でぴったり1時間足りない時間ぐらい撮影をした。
六,七人が駆け寄って動く映画用照明は露出を合わせることにだけ2~3時間がかかった。
ワンカット撮影して五時間待機,またワンカット撮影して四時間待機.
エディターは‘俳優キム・ミンジュン様’が心境が穏やかでないことはでないかハラハラしたが‘撮影チーム中のひとりのキム・ミンジュン氏’という安らかな無表情に撮影セットを念入りに見物して時々カメラを取り出して写真を撮った。
目をとじて音楽を聞いて“あの,準備みなでき…”とエディターが顔色を見ながら口を割れば涼しい顔で起きてカメラ前に立った。
一夜をぶっ通しで明けて翌朝東方の空がやや赤くなる時ぐらい,相手女優の最後のワンカットを残して彼の撮影分が皆終わった。
‘苦労されたのではやくお帰りなさい’と薦めるや‘苦労はスタッフらがもっとしているのに’として最後までいるとして我を張った。
そして撮影が終わった後,撤収するセット チームに後片付けを助けることができなくて申し訳ないとし謝った。

#3 2009年5月4日論硯洞(ノンヒョンドン)スタジオ
間違いなく耳にはイヤホンだ。
リンゴを食べながら登場した。
笑う目と顔は相変らず澄みきっている。
エディターを記憶する。
実は,エディターに捕えられていたそのうんざりする23時間を記憶するようだ。
だが彼は‘おもしろかった’と,その日の記憶を寛容に潤色してくれる。
何ヵ月目釜山で過ごすのはクァク・キョンテク監督が演出するドラマ バージョン<友へ>のためだ。
後の部分撮影を先に終わらせて,高校生で登場する序盤6回までの分量を今からとらなければならないといった。
話す時の彼は同意を求める‘そうでしょう?’とより一層強い同意を求める‘そうでしょう’をしばしば使う。
素敵に見えるという計算は最初からないようだ。
快便のためにお手洗いでは必ず何かを読むという話,尋ねることもしなかったのに自発的にした。
mj.jpg

開始から申し訳ない。
私,質問ちょっと冗長して長くしてもかまわないか?

ハハ。いいよ。

一番最初に気になったのはそれだ。
<友へ>という映画は我が国映画の興行史をまた使った作品で,2001年に封切った映画であるのに、相変らず色々なジャンルでパロディになって,数多くの方式で反復再生されている。
誇張ちょっと混ぜて,我が国の成人中で<友へ>の内容を知らない人はいないことだ。
ところでこの映画をドラマで作るとは,その上ユ・オソンが強烈な存在感を残した‘ジュンソク’役を担うことになるとは彼による負担がどうかは想像さえうまくいかない。

最初にはクァク・キョンテク監督様に対する信頼だ。
<サラン>をとって,何の作品をすることになろうが一緒にしたら良いと考えた。
なぜそうであるかと思えば,私がそれほどすることがない。
監督様のディレクションを受けて演技すればとても気楽だ。
ディレクション自体もそうで,そのまま自信ができる。
ディレクションの方式が極めて直接的で簡単明瞭で効率的だ。
それでユ・オソン先輩がした‘イ・ジュンソク’役に対する負担感が,ないといえば嘘でしょうが,率直に殆どない。
監督様が先に<友へ>をリメークするとおっしゃったし,そうするうちにジュンソク役を提案されたし,私はその全てのものがただ感謝するだけだった。
監督様が違う方だとか,劇作家が他の人だったらそれほど関心が生まれなかったんだろう。
核心となるスタッフらも映画<友へ>当時のスタッフらだ。
誰よりもオリジナルをよく知っている人らで,それで到底せざるをえない作品だ。

ある映画記者が<サラン>を見て,クァク・キョンテク監督が次の作品で必ずキム・ミンジュンをキャスティングしそうだと話していた思い出す。
ア,そうだろうか?それ本当に….
(彼の顔に驚きと恥ずかしさ,有り難みとほほえましさが順に慎ましく交差した。)

ところで焦眉の関心事であったドラマ バージョン<友へ>のキャスティングが発表されて,インターネット上で色々な諸説乱舞があった。
その時クァク・キョンテク監督はとても断固として‘この俳優らに私が見たある顔がある。
私がその程度の確信もなしでどのように演出をするだろうか。
この彼らが適役だと確信する’と話した。
俳優立場ではこれらすべてのものが非常にうれしいながらも負担にならないだろうか?

そうではない。
私はいっそはやく放送したら良いだろう。

お…すごい自信だ。
ハハハ。
放送前に百話すことより放送された後で評価を受けるのがより良いから。

<友へ>はやむを得ずすべてのセリフが釜山なまりだ。
あなたは故郷が釜山であるから,他の俳優らがなまりなじませるのに苦労する時、優れたあざ笑いを飛ばしてくれることができただろう。

いいや。
私も初めて2~3月は大変だった。
私が使うなまりと監督様が望まれるなまりが違った。
それでそれを調整する過程が必要だった。
音の高低にしたがって同じ話も全く違うニュアンスと受け入れられる。
それが,釜山なまりというよりは情緒の差であるようだ。
それをつかみ出す訓練をする時間がかかったのだ。
こういうテープ(彼はエディターのレコーダ用カセットテープを示しながら話した)に監督様がいちいちなまりを肉声録音して主要演技者らに分けられた。
そのテープを聞いて,一日に6~8時間ずつ徹底した事前リーディングをしながら実らせたことだ。

外国語もそのようにすれば増える。
そうだ。
(ヒョン)ビニのような場合は釜山語がほとんど外国語に違わなかったから。
今は皆釜山なまりを流ちょうに駆使する。
台本を見て‘こういう大きな課題では長いセリフよりは含蓄的へ行くことが良くならないだろうか’と考えた部分は間違いなく現場で監督様が短く変えられた。
感情が先にシーンを掌握して,セリフはそれに対する詳しい説明のように入るのではないだろうかと思う。
たとえば,昨日とった場面は劇中お父さんが息子の私が明日死ぬかも知れないという不安感を表現するシーンだった。
そのような場面が当然それほどまで,そのシーンでも本来は金持ちが向かい合って座って酒を飲む設定だった。
ところで昨日監督様が果敢に,お父さんが日本式庭園でとめどなく座っているのに息子が帰宅挨拶をしながら,そのそばに立つ場面で修正された。
そのように立って、座ったまま庭園を眺めながら対話をする場面になったことだ。
結果的にはより一層写実的な場面に生まれ変わった。

現場で決めるには本当に途方もない修正だ。
そうだ。
しかし修正した方がはるかに感情線が良い暮らしをするというのが監督様の判断だった。
現場で見せてくれる果敢な決断力は尊敬するほどだ。

クァク・キョンテク監督との呼吸はどうなのか?
私はよく合うと考えるけれど。
(ぎこちない豪快な笑い)監督様は苦しいのが多いだろう。

前回夜通し撮影の話ほどほどにしよう。
癇癪を起こそうとするならかなり出すことができる状況であったのに,あなたは始終一貫安らかに見えた。
少なくとも表面では感情の動揺が見えなかった。
そして何を見ようととても念入りに覗いて見た。
じっくり考えるようなこともした。
あなたは考えが多い人のようだ。
演技する時も同じことでしょう。
その日の即興的な気持ちでひょいひょいと興に乗って演技するのでなく,セリフを念入りに覗いて見て、色々な場合の数を分析してみそうだという印象.

それ,良くないようだ。
(話の末にはぁ~,とするため息の気勢がにじみ出た。)一日程度夜通しするのは呼吸が短い作業に属する。
ドラマや映画が何ヶ月ずつある呼吸に行かなければならないことに比較すれば,雑誌の画報作業はどれくらいやさしくておもしろいか。
ところで簡単に行くことまでかなり緊張をよくする。
実は今日撮影のために何日か前から体重調節をした。
もしも服を脱がなければならない状況があるかと思って。
それでたくさん準備を…して!
(ドラマチックな効果のための一時止め)昨日ふと,私がなぜこのように緊張をするだろう?満足に上手にしようとするならむしろ緊張を解かなければならないのではないか?という気がした。
それで昨日はそのままご飯食べた。
本来は撮影前日水分摂取も減らし,一日中飢えて寝る前に炭水化物を少し食べて,からだが良く見えるようにさせるべきなのに。
わけもなく気を遣って睡眠でもしそびればむしろ集中力が落ちそうで,昨日はそのままバラ肉に焼酎一杯飲んでゆっくり寝た。

この瞬間非常に誘惑的に聞こえるメニューだ。
そのように見ればあなたは完ぺき主義者よりはすべてに非常に真摯な人に近いようだ。

私,本当に怠ける。
それで仕事をする時だけはプロフェッショナルしようと考えることだ。
家にいれば何も満足になされたのが一つもないほど散漫だ。
仕事をする時,そのような姿を照らしてはいけなくないか。
それでがんばろうとすることと。

自ら‘怠ける’と断言する人の中で本当に怠ける人あまりなかったのに….
ハハ,違う。
本当に怠ける。
冗談じゃない。
そのなぜ,手大きい人が怠けるというのではないか。
私,手本当に大きい。

(テーブルの上にのせた大きな手をこっそりと隠しながら)そのように考えて見たからなのか,あなたの出演作らを見ればどんな決起を持って臨んでいるというのが感じられる。
‘もっと上手くやりたい’,‘この作品で本当に最善を尽くす’のような決心が画面の外まで感じられるというだろうか?

ウン...そうだろうか?

だから,この頃世の中はあなたのようにすべてに真摯な人らが相対的に損害をこうむるほかはない構造に戻っている。
自分が分かって自慢して,素早くてすばしっこく行動してこそ他の人々眼に触れて,さらにはやく認められる。

そのとおりだ。
だがこの頃人々は,見える面だけ軽薄に包装するそのようなにせ物ジェスチャーはすぐ知るようになる。
そして私がそれが嫌いだが,嫌いなことをどうするか。
私もそのような考えよくする。
私も運動よくして,人々に見せたり,バラエティーに出て行って不真面目な声もほどほどにしながら,人気を高めるべきではないだろうか?ところがこれが結局は自分が良いことをしながら生きようということではないのか。
バラエティーする方々は彼らだけの哲学があることと,私はまだ(腹がいっぱいであるかは分からないだろうが)それをすることが嫌いなことだ。

芸能界にかなりおかしな二分法が盛んに行われるようだ。
たとえば,‘スターか俳優か’のようなこと。
もし今まさに始めた意欲衝天の新人俳優にスターと俳優中で望むのを選べといえば熱ならば熱,スターよりは俳優を選択することだ。
しかし俳優の属性が結局は大衆と疎通することならば,大衆的な認知度や好感度無視することはできない。
この頃大部分の新人俳優らはスターと俳優の岐路でどちらか一方で方向を設定した後,その方向に合わせて,活動するようだ。

解釈する次第であるようだ。
良い俳優になろうとするなら良い配役にキャスティングされるべきなのに,スターパワーがなければ良い配役を取るのが難しいのが事実だ。
それで各自の方法があるようだ。
どんな方法でも先に人気を得てそれを踏み台で良い演技を見せようが,あるいは良い演技を見せようと黙黙と精進しようが,それは個人の選択問題だ。
そして私はかなり回って行っても私どおりの方法を選択したい。

デビューしてかなり久しいが、あなたは特別な物議に上がったこともなくて、インターネット媒体1位に上がるほどの突出発言をしたこともない。
作品をすること以外には意識的に静かに過ごそうとするという印象を受けた。

そうだ。
デビュー作が映画だったが,私が知られた契機になった作品は<茶母>であった。
ある日約束があって,狎鴎亭(アプクジョン)を歩いていって、知っているマネジャーに会った。
その人がそうすることだ。
“オ,ミンジュン氏.
このように真昼に歩いてもかまわなくて?”気分台無しになったよ。
いったいそれが何の関係あるか?人気を得て人々に立派に見えるのも重要だろうが,それでも自然であって私の自由まで侵害される理由はないということだ。
私のために一緒にいる人々が被害を受ける時,一番耐えられない。
そのような意味で非常に耳障りな言葉中一つが‘公人’だ。
俳優は公人に分類されるほどの職業群ではないのではないか?

そういえばそうだ。
人々が芸能人を‘公人’と呼ぶ場合はその人に不当なほど厳格な道徳的な定規を突きつける時だけであるから

用心深くて敏感な話であることは一ケ所…顔が知られて人気を得た人が非道徳的だとか不法な行為をすることぐらい一気に,それも簡単に,大衆の視線を引き付けて社会全般に警戒心を呼び起こすことができる事件もない。
あえて比喩しようとするなら,あいにく政治的に何か大きい事件が広まっている時ごとに次から次へ発見されたりした北朝鮮のトンネルのようなものであるわけだ。

そのように見ればあなたが吐きだした話を拾いいれない活字で印刷する,言ってみれば今するこういうインタビューでこそ非常に凄じい作業ではないのか。
私がもし知られた人ならば絶対インタビューしなかったようだ。

ファッション マガジンのインタビューはインタビューを非常に尊重して,時には過度に用心深く扱う。
もしかしてこの人の意図をわい曲して伝達することになるかと思って慎重な心かもしれないが,時々美辞麗句が動員された私のインタビュー記事を見れば不快な時がある。
私はそのままこの程度なのに,だから(ちょうどテーブルに置かれていたジッポライターを摘み取りながら)私はそのままジッポライター水準だと考えるのに,インタビューにはあたかもデュポン ライターのように描写されたことだ。(笑い)
それでは負担になって,ひょっとして友人らが見でもすれば‘なんだ,ツイてないね?このようにえらぶる子だったの?’とコソコソ言うようだ。(笑い)

自身が出演した作品を几帳面にモニターするほうなのか?俳優ホアキン・フェニックスは自身の出演作を絶対に見ないという。
時により違う。
そのような原則にあえてのっぴきならない羽目に陥ることあるか?ドラマのような場合には放送序盤にはモニターする時,最初から電話機を消しておく。
私はただ一場面ものがさないで没頭してみるべきなのに,‘君ドラマ出てきたよ’といいながら電話する知人らの電話がしきりにかかってきて,という話だ。
ともかく,ホアキン・フェニックスはなぜ自分の映画を見ないのか?

聞くところでは彼がすごい完ぺき主義者なので,すでに元に戻せない結果に対して満足でない気がするのが耐えることができなくて…という。
どうせ元に戻すことができなくなったのでさらに見なければならないのではないか?過ぎ去ったことなのに。
見ながら‘わぁ,私なぜあの時はあのようにしただろう?次には上手にしなければならないが?’それでいいじゃないか.(笑い)

ちょっと申し訳ない話だが,私は何の根拠なしに,これら全部が彼が牛乳も飲まない強硬な菜食主義者であるためだと堅く信じている。
うわー,そうだろうか?それでは自分自身をたくさん閉じ込めるのに…それはちょっと…あまり荷が重くないだろうか?(心より心配する表情)私も嫌いな食べ物があったりするが,撮影する時はやむを得ず食べることになったのに。

そういえば,さっき本来は吸わなかったタバコをこの頃吸い始めたという話を聞いた。
ひょっとして<友へ>ためか?

そんなことだけではない。
私は常にそうした。
人々がなぜタバコを吸わないかと尋ねれば‘ただ今吸わないことだけ’と答えた。
いつかタバコを吸う時になれば吸うだろう,と考えた。
この頃も愛煙家ではないが,今回の作品下面からはタバコが緊張を緩く解く役割をするようだ。
その上<友へ>撮影会場が男性ホルモン過剰に,多少階級的な体系にかえる雰囲気だ。
そして撮影会場で私の階級が低い方でない。(笑い)
撮影入ろうとしながらも私がタバコ一本を尋ねれば,監督様が‘お,タバコ一本吸って行こう’となさる。
それで私がその瞬間の興味をのがさないで捉えることができることだ。
それで現場が整理されて皆タバコ一本にやっと吸う雰囲気となる。
(声を低くしながら)そしてタバコを吸いながら対話をすればコミュニケーションにはるかに役に立つ部分がある。
特に難しい話をタバコを媒介に気楽に取り出すことになるのがあるじゃないか?何というか,悪いことを一緒にしながら共有する共犯者意識のようなこと?(笑い)

どうしようか,今でもタバコを吸わなければならないだろうか?
ハハハ。

EDITORシン・ユンヨン
*俳優キム・ミンジュンの記事全体は 7月号で確認して下さい。
(出処:dazeddigital.co.kr)


やっぱりキム・ミンジュンのインタビューは独特の世界観があって、なにかいい本を一冊読んだような気分になる
日本ならまだ売ってるかな~?
先月店頭置いてあるのを横目に、予算的に「W korea」で精いっぱいだった
Comment

[215]

うーe-328読み応えあった~e-440
翻訳どうもありがとー!
のんこの言うように独特の世界観がある方だね~
ぶれてない・・・ってゆーか、
私が持っていたイメージよりずいぶんオトナな感じです。

今後がますます楽しみ~e-446

[216]

ひらこ、こまうぉ~v-290
そーそー、あたしの勝手なイメージとも違う人なようだよ(笑)
かっこいーなv-91
 

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