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2009
11
20

’私は幸せです’で転換点を迎えた俳優ヒョンビンに出会う(NAVER)

’私は幸せです’で転換点を迎えた
俳優 ヒョンビンに出会う

~NAVERカバーストーリーより~

696.jpg
一人の俳優が世の中に出てきて成長する過程では必ず'転換点'がある。
ヒョンビンに<私は幸せです>はまさにそのような映画だ。
昨年釜山国際映画祭閉幕作で初めてお目見えしたこの映画でヒョンビンは自身が積んだイメージを皆取り出して,新しい俳優人生を始めた。
'ヒョンビンの極限状況'に出会える<私は幸せです>に対する話と,彼の過去と未来に対して話を交わした。
文lキム・ヒョンソク(映画ジャーナリスト)構成|ネイバー映画


俳優ヒョンビンに出会う



Prologue
0.jpg
マンスという男がいる。
賭博に狂った兄は借金に追われて自殺してしまったし,お母さんは痴呆にかかった。
地獄のような現実はますますその男を固く締めつけてきて,結局マンスは現実を抜け出して,精神病院にくる。
誇大妄想に陥った男マンス.
だがそちらさえ彼には安息所にならなくて,消したと考えた過去の苦痛な記憶はまた彼を訪ねてくる。
それでも彼は幸せだ。
いや,幸せだという誇大妄想に陥っているかも知れない。

ドラマ<雪の女王>(2006)を終えた後,彼に近づいた作品は<私は幸せです>であった。
試写会が終わった後にあった記者懇談会で"撮影する間'私がなぜこの映画をしているか'という気がした"と話すほど大変だったが,ヒョンビンにこの映画は少しは特別な経験だ。
マンスになるために彼は今まで少しずつ積み重ねた全てのものを崩して新しい家を建てなければならなかった。
そして彼はもう少し堅固な俳優になった。
もしあなたが<彼らが生きる世界>(2008)や<友へ,私たちの伝説>(2009)のようなドラマでもう少し深くなったヒョンビンを感じたとすれば,それはヒョンビンという俳優が<私は幸せです>という'通過儀礼'を経たためだろう。

幸せな俳優の苦痛な成長期

Q.<私は幸せです>はキャラクターが非常に強い映画なのに,さっさと選択するのが難しい映画だったことのようです。
'さっさと'選択しました。(笑い)事実映画には憂鬱で苦しい部分が大部分でしょう。
それでもシナリオは笑いながら読みました。
そのような事実自体がまれだったし,また話に魅力がありましたよ。
それでするとはしたのに,その時から心配しましたよ。
自信があってするといったことでありませんから。
悩みもさらに多くして,ユン・ジョンチャン監督様と話もたくさんしましたよ。

Q.誇大妄想に陥ったマンスというキャラクターのために何かたくさん準備することはしなければならなかったと思うが,確実にどのように準備するべきか少し広くて果てしなかったことのようです。
直接的に経験できなかったので,ひとまず監督様と話をたくさん交わしました。
監督様がシナリオを書かれながら得られた情報に対して話を聞いたし,精神病院に行って直接患者方々をお目にかかったりもしましたし。
患者の方らと色々な話も交わしました。
それと共に関連した映画も見て,リハーサルをしながら一つずつ作りましたよ。

Q.こういう役のリハーサルというのが具体的にどんな感じでしょうか。
目つき一つ,手の動作ひとつ,首をふること一つまでみな計算しなければなりませんでした。
そのような部分を相談して,撮影した後にモニターでずっと確認しながら,補完していくんです。

Q.だがキャラクター性格上,計算だけで満たせない部分がさらに多くなかったんですか?リハーサル時は出てこなかった感情が撮影時にこみあげてくるのもありえたことのようです。
たくさんありました。
それで大変だったシーンも多かったんです。
カラオケシーンのような場合に,怒りが込み上げてくるから制御がきかなかったんですよ。
カメラの前で泣いただけOKサインが出た後にも泣いたことです。
その時撮影された場面が映画にさらに付随したりもしましたし。
壁にもたれて泣く場面は,OKサイン以後の場面だったんですよ。
監督様が良く見たのかその場面を使われました。
病院で医者に無法な振舞いをする場面後には,ある間倒れていました。
すべてのことが消耗しましたよ。

1.jpg2.jpg
カラオケシーンのマンス。
感情を制御できないヒョンビンはOKサインが出た後にもしばらく泣いたし,ユン・ジョンチャン監督は俳優のその感情を映画に入れた。

Q.<鳥肌>(2001) <青鉛>(2005)等ユン・ジョンチャン監督の前作らを見れば,俳優の感情底辺まで搾り取りあげるという感じを受けるんですが,ヒョンビン氏はいかがだったんですか。
出演を決めた後にユン・ジョンチャン監督様の前作等を見ました。
しまったと思いましたよ。(笑い)感情の底辺まで行くということも撮影しながら感じましたし。
ところでそのように感情を刺激された反面,監督様は刺激したところにみな薬を塗って下さいます。
そのような点が良かった記憶でしょう,それでこの作品終わった後に'私が本当にたくさん習った'という考えをするようになりました。

Q.薬を塗って下さるというのはどんな意味なのか…。
私自身を破ることができる話をよくして下さったことのようです。
既に私がした演技方式を排除して新しいものを作ることができる道を開けられたことでしょう。
その道を開けられるためにずっと土地を耕しているのに,その後にはよく固めて下さいます。
ほめられる時は確実にして下さって,不適当な部分はずっと指摘して。
そんなことが本当に多く役に立ったことのようです。
そして壊す過程で常に一緒にして下さいます。
独断的に"これはこのようにして"として壊されるのでなく、そばで一緒にして下さるから,大変ながらも面白みを感じましたよ。

Q.ロング テイク場面がかなり多かったんですね。
大変だったんですよ。
ドラマ<私の名前はキム・サムスン>(2005)時もロング テイクがあったが,<私は幸せです>のように感情が極限状況に置かれたのではなかったんですよ。
考えてみれば<私は幸せです>では感情状態が中間だった場合はなかったようです。
もう少したくさん行ったりあまり行かなかったり….
印象的なロング テイク場面ならば,他の患者と向かい合って座って,ビート ボックスする場面でした。
10分の間行ったのに,カメラを消されなかったんですよ。
すでに前に何度かNGがあった状況だと,ブーム マイクを持たれたスタッフの方が手をわなわな震えるほどでした。
そのような場面を経験してから少しわかることになったのが,にせ物ではそのように10分の間維持をできなかったんですよ。
その瞬間だけは本当にしてこそ可能です。
そうでなければ他の考えが頭の中に入ってくるからです。
そのような面で習ったことでしょう。
それで撮影中ずっとずっと真正性を探って行こうと努力しました。

3.jpg4.jpg
ユン・ジョンチャン監督はヒョンビンの'壊すこと'の過程に参加しながら,共にキャラクターを作った(左側).
10分以上持続したロング テイク場面(右側)を通じて,ヒョンビンは真正性に対して少しはわかることになったと話す。

Q.とりながら'演技だが,とても苦しい'と感じた場面があるんですか?
撮影開始から終わる日までそうでした。
本当にね。
現実の場面とって病院の場面とる間に休む期間があったのに,とても頭が複雑で苦しくて,マネジャーらと共に船に乗って海に出て行ったことも多いです。
そこで捕った魚でスタッフらのメウンタン沸かしてあげたりもして。(笑い)

Q.マンスというキャラクターのために,自身の内面にあるその何を引き出した部分があるんですか?
ないです。
私が持ったものはほとんど使わなかったことのようです。
以前には完全に100パーセント作り出したキャラクターはなかったです。
(キャラクターと実際性格の間に)接点があるならばその点を浮上させて他の部分はなくす方式であったのに,マンスのようなキャラクターは私が全く経験できなかったために初めから全てのものを作らなければなりませんでした。
'無'から始まったわけです。
監督様とその作業を一緒にしていきながら,少しずつ正常になっていく感じ繋ぎましたし。

Q.一長一短がありそうです。
自身が理解する感情を変形するのと,完全に作っていくこと。

今回の作業は考えがとてもたくさん必要だったんですよ。
一人でする考えでも,監督様と分かつ考えでも,スタッフとともにする考えでも,そんなことらを複合的に総合して,やっと一つ作り出せば,再び開始です。
私にあったことで引き出すのはそのまま積まれている山に土だけもう少し覆えば良い作業なのに,今度は何もない所に初めから土をまかなければなりませんでした。
それで悩みよくしました。
初めには不安だったり。
持っているのがないですから。

傷ついた魂のための目つき

Q.<雪の女王>からであるようですが,キャラクターに対する没入が良くなったという気がしました。
どんな契機があったんですか?

(しばらく沈黙)そうですね….
違うことはよく分からないですが,先輩らの影響があるようです。
野球の集まりのようなところで単純に運動して遊んでそうするけれども,先輩らといながら,私も気づかない内に習ったことらがあります。
それが<雪の女王>の前からだから,他の見方をすればその影響があるでしょう。

Q.先輩らが1,2節ずつ投げる助言が,ウンウンうめいて病んでいた部分をとても簡単に解決する場合もあるじゃないですか。
そのような経験があるのですか?

大学で演劇演技を経験した後に初めての映画が<回し蹴り>(2004)だったが,その時キム・ガプス先輩に"映画と演劇演技は何が違いますか?"という質問を投げたことがあります。
ところで先輩があまりにも平然と"全く同じで"そうなさって,終わりでした。
'明確に違うようだが…答えてくださるのが面倒だったか…'その時はそのように考えたのに,今考えてたら本当に全く同じであるようだったんですよ。
事実先輩らには,何か一つを伺ってみることよりは,演技されるのをただ見るのがさらに役に立つようです。

Q.チャン・ドンゴン氏が<友へ>(2001)の前後にそうしたように,俳優にはある転換期があるようです。
ヒョンビン氏のような場合は昨年で今年に越えてくる時期でないかと思うんです,本人にもそのような部分が及んできてますか?

私はよく分からないですが,周辺ではそのように感じられるようだったんです。
どんな理由があって作品らを選択したものと考えられるようだよ。
だが私は本当に引かれた作品らを選択したことだけでした。
そして<私は幸せです>をしながら体験した経験が,以後ドラマにも少しずつにじみ出たようです。

5.jpg6.jpg
<私は幸せです>でヒョンビンは全てのものを捨てようと努力した。
そしてこの映画は彼に'幸福'という話題に対して悩む時間でもあった。

Q.ある瞬間から感情のスペクトラムが幅広い作品を選択しているという気がしますね。
<私は幸せです>はそのような部分が最も大きかった作品です。
満足することにはならないだろうが,自らに'私がこの程度まで成し遂げたんだな'と感じる部分があるんですか?

(しばらく沈黙)ウン...<私は幸せです>では,私が持っているのをみな捨てようとしたのはありました。
それでこの作品に愛着があったりもします。
自らをたくさん見て回ることができる契機になったし,それと共に私自身をたくさん捨てた時期ともいえます。
それがこの作品で得た最も大きいことです。

Q.最も捨てるべきであることだと考えた部分は何ですか?
最も単純に見れば,私の位置であることもあります。
新人の時と比較すると明確に位置が変わったのではないですか。
そのような部分もみな捨てたことのようです。
一方では最大限多くのことを受け入れようとしました。
そして<私は幸せです>は,自らに最も質問を投げた作品であることのようです。
<私は幸せです>という題名を通じて,'幸福?' '不幸?'こういうことに対してです。
結果的に見れば,自らに対して知りたかった時期でした。

Q.<私は幸せです>で感じたものだが,セリフがない場面の存在感が強く迫ってきました。
事実過去にはそのような場面でカメラの前で少し硬直しているという感じがしましたよ。
ところでこの頃はそのような部分を満たすという感じを与えます。

そのような部分のためにこの頃気を遣っている部分が'目つき'です。
<私は幸せです>から着実に試みた計算です。
私が自ら考えた方法のとおりです。
そうするうちにある程度合って入る部分ができました。
ファンや周辺の人々がその部分を指摘して下されば気分が良いです。

7.jpg8.jpg9.jpg
ヒョンビンのキャラクターは傷ついたり傷ついた相手方を慰める。
そして彼の目つきは悲しみと憐憫の感情を抱く時,強い力を発揮する。
(左側から) <アイルランド> <雪の女王> <私は幸せです>

Q.引き受けたキャラクターらにキーワードがあるならば傷であることのようです。
自身が傷を負っていようが,相手方の傷をかばってあげる….偶然でしょうか?でなければそのようなキャラクターに引かれる理由があるものですか?

後ほど考えてみたら本当にそうだったんです?ところでその理由は私もよく分からないです。
事実どのキャラクターでもみな立体的でしょう。
喜びもあって痛みもあって。
ところで私は痛みにさらに引かれたことのようです。
でなければ私が表現をした時,その部分が目立った場合もあります。
だが'このキャラクターはこれほど痛みがあって,魅力あって'と感じたことはなかったです。

Q.ケガして,痛みを表現するところにあってヒョンビンという俳優がさらに敏感なようだと考えました。
そのような感情にさらに鋭敏に反応するようです。

事実そのようなシーンが撮影をする時は率直に大変です。
こういう計算はあります。
うれしいのをさらにうれしくお見せするために悲しい場面をさらに悲しく表現したり,反対に悲しい場面をさらに悲しくお見せするためにうれしい場面をさらにうれしく表現しようとする計算でしょう。
そのような方式を通じて,対立的に作りたい欲である計算だが…。
ところで悲しみを表現するのに私がさらに多く似合うようです。
私が見た時もそうですよ。
そしてある部分は,容貌からくるのもあるでしょう。

顧みれば師匠になった,すべての作品

Q.20代始めの新人俳優が初めての作品を選択する時は'主人公の友人の中1人'のような無難な役割を選択するものだが,デビュー作のドラマ<ボディガード>(2003)ではかなり強い役を担いました。
その時は'私がこの役が上手にできる'という考えでなく,どんな作品でも出演して習うべきだとの心がより大きかったようです。
演技をすることならば,何でも良いという考えで<ボディガード>に出演したことでしょう。

Q.初めての映画である<回し蹴り>(2004)が,作品に対する評価はそんなに悪くなかったが大衆的に無視されました。
初めての映画が残したものがあるならば何ですか?

責任感をたくさん感じたようです。
事実その時はそうしなくても良かったんですよ?キム・ドンワンというスターがいたし,当時私は何もなかったためです。
それでも学校で演劇をする時は感じられなかった妙な責任感がありました。

Q.ギャランティーを受けるからできる責任感でしょうか?(笑い)
そのようなこともあります。(笑い)そしてその時何ヶ月の間一日に6時間ずつテコンドー練習をしたのだけど,映画封切り後でこういうことを悟ったようです。
自ら準備しながら,撮影したのに結果が良くなければ過程自体も意味ないこともあるということ。
結果が良くなければ,私が責任感を感じながらした全てのものがそのまま消滅することもありうるという考えもすることになったことでしょう。
それならこの責任をどのように取らなければならないだろうか…。
この部分は今でも悩みであることはします。
それで私はどこの誰にも'被害を与えない俳優'になりたいです。
お金を出して映画を見に来た観客らにも,映画に投資をした人々にも,共に仕事をする人々に対しでもです。
彼らが私の演技に対して(否認や拒絶の意で)手のひらを振るのは見たくありません。
それで過程をとても重要にと考えながら,熱心に準備はするのだけど…よく分からないです。
こういう責任感に対してです。
事実興行成績が良くなければ私の誤りもあるようだが,実状私自身はそのような部分に執着しないほうです。
それは私ができない持分だと考えるからです。
だが私が捨てて行くことはできない部分でしょう。
そうしたところから来る色々な考え?初めての映画からそのような悩みが始まったことのようです。

Q.以後に青春スターイメージがあったのに,意外にはやく脱いでしまったという気がしますね?
してみたらそうなった面があります。
ところで意図的に捨てたくありません。
観客らが望んで好むそのような姿のおかげで私がこの席にいられることじゃないですか。
それを完全に無視したい考えはないです。
ところでこうしたことはあるようです。
観客らが好む面だけの演技することはないということ。
明確に違う姿を見せなければならないのが,私の職業において義務でもあります。
そのような姿をご覧になったらこのような姿も見せてあげたいという欲もあります。
一度にみな変えることはできませんが。

10.jpg11.jpg12.jpg
事実ヒョンビンの初めての作品は短編<シャワー>(左側)であるところだった。
だがこの作品は完成されなかったし,彼はドラマ<ボディガード>(中)のストーカー役でデビューする。
<回し蹴り>(右側)は彼に'責任感'というものを教えた初めての映画だ。

Q.<百万長者の初恋>(2006)を見ながらは,俳優がキャラクターとストーリーの中で少しもどかしいという感じを受けました。
この映画で惜しかった点は何ですか。

多くの部分を表現できなかったようです。

Q.事実チェギョンという役が,とても多くのことを表現しなければならないキャラクターだったでしょう。(笑い)
(笑い)ところでその過程はおもしろかったです。
キム・テギュン監督様との作業も良かったんです。
事実キム監督様が<狼の誘惑>(2004)準備される時会ったことがありました。
その時"今度はならなかったが後ほど一緒にしよう"とおっしゃったのに結局一緒にすることになったことです。
もしその作品を今またするならば…その時よりは確かにもっと上手くやることができそうです。
物足りなさが残ります。

Q.<私の名前はキム・サムスン>のような興行作もあるが,<アイルランド>(2004) <雪の女王> <彼らが生きる世界>のような感性的な感じのマニア ドラマがヒョンビンという俳優のイメージを相当部分規定しているようです。
そのようなドラマを通じて,自身が大衆にどのように受け入れられると考えられてますか。

'マニア ドラマ'と呼ばれる理由に対してはこう思います。
私の作品に対してこのように申し上げるのが少し恥ずかしいが,私が選択した作品らが完成度で非難を受けたことはなかったようです。
ところで視聴率が良くなかったし,そうするうちにいつのまにマニア ドラマになっていました。
ところでこれら全てのドラマに全部商業的要素がありました。
私は十分にあったと考えました。
ところでなぜだめだったのだろうか…。
本当に残念です。
<彼らが生きる世界>に対してある方は"とてもはやく出てきた"という話もしましたよ。
既存のドラマを見た視聴者方々に見慣れないこともあるドラマということでしょう。
少しだけ遅く出てきたら,また他の反響を起こすこともできるドラマだったはずなのに…。

Q.ところで有料ダウンロード市場では反応が良かったです。(笑い)
私はみなそうだったんですよ。(笑い) <雪の女王>もダウンロードでは1位でした。
<友へ,私たちの伝説>も終わった後にダウンロードで人気を呼んでそうでしたよ。

13.jpg14.jpg
<私は幸せです>以後とった二編のドラマ<彼らが生きる世界>(左側)と<友へ,私たちの伝説>.
彼は二つの作品で一層さらに深い演技を見せながら,<彼らが生きる世界>の,ソン・ヘギョと実際恋人になったし,<友へ,私たちの伝説>ではクァク・キョンテク監督によって,再発見される。

Q.<友へ,私たちの伝説>の話が出ましたが,役割を受け持つのに負担だったようです。
チャン・ドンゴンという先輩が積んだオーラのためです。
あえてする必要はなかったドラマではなかったんですか?

はい,それで皆止めました。
皆"せいぜい元手"といいましたよ。
映画<友へ>とキャラクターらがとても強く印象に残っているからです。

Q.結果的に元手だったと考えられるんですか?
いいえ,私は得でした。
視聴率という数字で換算された結果では良くなかったけれど,私にはとても良い作品でした。
私は作品を選択する時,意外に単純なようです。
多い人々が引き止めたが,映画<友へ>映画を見た時の感じのために選択しました。
2001年に<友へ>を見ながら'私もあんな作品してみたい' 'クァク・キョンテク監督様と仕事をしたい'こういう考えをしましたよ。
漠然とした夢でした。
ところである瞬間私に機会がきました。
やらない理由がなかったです。
だがこの作品をすればチャン・ドンゴン先輩と比較されるのは避けられなかったんですよ。
すべての方らが'どのようにするのか見よう'という視線で私を評価することというものも明らかにわかっていましたし。
ところでその視線が怖がってこの作品を捨てれば,後ほどとても後悔しそうだったんですよ。
それで選択しました。
<友へ,私たちの伝説>をしながら,クァク・キョンテク監督様は私が分からなかった部分をたくさん発見して下さったし男性的な面を表現して下さいました。
後ほど他の作品でも多くの助けになることのようです。
もしこの作品が私の最後の作品だったら多い葛藤をしたでしょう。
だがこれからする作品がさらに多いから,私は<友へ,私たちの伝説>を一つの過程だと見て選択しました。

Q.<私は幸せです> <彼らが生きる世界> <友へ,私たちの伝説>につながる最近1~2年が俳優としてとても重要な時期という気がします。
新しいものを成し遂げるための岐路のようで,前進しなければ後退するほかはない状況のようでもある。

ウン...それでも余裕はあります。
そして私は底に落ちても大丈夫だと考えます。
以前にあるインタービューでした話なのですが,<友へ,私たちの伝説>時釜山で運動した所がありました。
ランニングマシンを走ってみるならば直ぐ前が海であり向かい側に山があります。
その山を見ながら'私は今どの程度あがっているだろうか' 'その次にくることが何だろうか'こういう考えてみたら,山というのはいつかは降りて行くことになっていましたよ。
たくさん落ちるか,少なく落ちるかの差でしょう。
その時'いつかは私も落ちる日があることだ。
だがその時よく解決しよう'こういう考えをしました。
もし逆さまに落ちて,底まで降りて行ったら,私はそれが元手だと考えます。
今持っているのを失わないためにさらに努力していることだが,持っていなくなったといって,挫折する必要はないですから。
私は本来持っていなかったんですよ。
一人だけの余裕であることがあるが,とにかくそのように考えます。
ウン...そして自らに自らほめています。
今私が夢見る30代と以後を思い浮かべてみながら,今までは上手にやっていると。

Epilogue

インタビューを終えた翌日,ヒョンビンは米国に行った。
すでにニュースを通じて発表されたように,彼は現在韓国映画の伝説的傑作の李晩煕監督の<晩秋>(1966)リメーク バージョンに<ラストコーション>(2007)のタンウェイとともにキャスティングされた状態だ。
キム・テヨン監督がメガホンを捕まえるこの映画は12月にクランクインして,来年2月頃に撮影を終える予定.
彼はロケーションが成り立つシアトルで'100パーセント英語セリフ'を完ぺきにやり遂げるために努力中だ。
グローバル プロジェクトとして全世界封切りを目標にしている次期作に対してヒョンビンは期待とともに恐れも感じる。
"多くの期待感があります。
私にはまた他の挑戦ですよ。
事実心配も多いです。
他の言語で私の感情を伝達するというのが,どの程度可能なのか気になったり恐ろしかったり…。
ところでこの作品をし終えれば再びひと皮脱ぎそうです。"すべての作品を師匠として,一歩ずつ前進したヒョンビン.
<私は幸せです>で卵を破って出た彼に,<晩秋>が'特別な一歩'になるように願う。
Comment

[363]

うぉーe-349
またまた読み応えありv-218
の記事のUP、コマウォe-328
お疲れ様ですe-423e-427

ナヘンは卵を破ってでれた作品・・・まさにその通りだね。
これからの一歩に期待大!
自分のスピードで山を登っていってほしいなe-342

[368]

ひらこ~、殻破るとこ見ないとねv-86
↑あ、ひよこi-274
 

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