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2009
11
26

【記事】ヒョンビン,内面深い俳優の貴重な熱情

[私は幸福です①]ヒョンビン,内面深い俳優の貴重な熱情
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<私は幸せです>試写会の日ヒョンビンはふと幸せという感じを受けた。
‘幸福’という単語を執拗に掘り下げた1年前を思い出させれば確かに余裕ができた。
“前はカメラ前に立つ前に一つをどのようにするか悩んだのに,今はふたつほどもつ中で何をするのが良いのか相談する。
途方もない差だ。
スペクトラムがますます広くなるようだ。”
ヒョンビンは<私は幸せです>シナリオを読むやいなや無条件やりたかった。
上手にやれるという自信はなかったがぶつかってできないことはないと考えた。
もちろんやさしいことはなかった。
一度も経験したことない‘誇大妄想症’を演技するために直接患者も会ってみて監督と激しいリハーサルを経た。
顔の筋肉を固定させたまま瞳だけ動くものから侮れなかった。
その上何より難しかったのは狂うしかなかったマンスの境遇を理解することだった。
“狂わなくては耐えるのが大変だったことだ。
その上にマンスが精神病院に入ってきて,友人らに出会ってスギョンに出会うのが本当に幸いなように見えた。
難しい状況を一人で歯を食いしばって持ちこたえた人であるから現実をそのまま受け入れたとすればさらに良くない状況で行かなかっただろうか心配もなって。”マンスの状況を理解しようとすれば撮影する終始‘幸福’との単語が彼を困らせることもした。
“幸福という単語は本当に難しい。
自らにずっと質問した。
私は幸せなのか?でなければ不幸なのか?それならなぜ?いくら質問しても答が出てこなかったよ。
あたかもコインの両面のように。”
昨年釜山国際映画祭閉幕作に選ばれた作品であるから遅れた封切り時期に対して多く尋ねる。
だが彼は観客数や視聴率に執着しない。
それは俳優の持分ではないという考えからだ。
いくら自身が見てくれと捕らえるといって解決される問題でないことを分かる。
“ドラマ<彼らが生きる世界>と<友へ,私たちの伝説>がひきつづき視聴率が良くなかったといって,後悔したりなぜこれをしようかと思う考えは0.00001秒もしてみたことがない。
物足りなさがないことはないが,ありもしない。
代わりにその作品に臨むところにあってはこだわってまたこだわる。”
マンスを演技するためにもそうした。
ヒョンビンは作品に没入するために一人でうんうんうめいて病んだ。
現場でも感情状態を維持するために一人でいる時間が多かった。
孤独だったが耐えなければならなかった。
スギョンの痛みに没入したイ・ボヨンを見ながら‘ア,私だけ骨を折ったことでないな’とする安堵感を感じたし,現場の雰囲気をよく導いて上げたスタッフらに有り難みを感じた。
演技する時,結果だけで評価される時が多いが,今回だけは全てその過程まで皆‘幸福’だった。
ヒョンビンはもう幸福がそんなに遠くあるんじゃないことを分かる。
“信じた人に誤解を受ける時は傷を受けるけれども、思うこともできない人に慰労に受ける時もある。
ものすごい現実で踏み付けられていて精神病院へ向かう時,マンスもそうしたことという考えをした。
何かひとつ払いのけた気持ちというか。
そしてそこでスギョンに会って頼りながら,順次回復することができたことでないかと思う。”
ヒョンビンは口癖のように“三十才になりたい”と話す。
そして三十に近づくほど心がときめく。
“以前にある先輩が‘20代に演技が上手にやろうとにするな’という話をしていた。
その時は‘いや俳優が演技が上手でなくちゃ,どのようにそのような話をするんだろう?’していた。
ところでもう何の話なのか分かったよ。
私がいくら今30代演技が上手してもそのように見えないことだ。
経験値。
その経験値が何か知ることになるからさらにはやく年を取ったら良いという考えることと。”
それで今のヒョンビンは三十才のヒョンビンのための準備段階だ。
今は最善といっているけれど後ほど今を振り返れば後悔しそうだ。
それでも目標点に至るために外れたり抜け出してはいないと考える。
“いつも想像してみる。
三十才の私の姿を。
可愛い家庭を設けるのは幼い時から本当に大きい目標だ。
仲むつまじくて和やかな家庭に対する夢がある。
三十才にはそれが整っているんじゃないかという考えになって。
ア,演劇も必ずすることだ。
誰かによったのでなく私が本当にしたい時。
周辺に共にしたい人々と一緒にするならばただ1回公演でもただひたすら良いようだ。
高等学校の時演劇をした経験が私の人生を根こそぎ変えたためか胸の片隅にいつも演劇が席を占めている。”
もうすぐ<晩秋>撮影のためにシアトルに発つヒョンビンは釜山なまりに続き100パーセント英語のセリフを消化しなければならない。
完全に新しい挑戦だと心配になるとし笑うが,すでに一人でうんうんうめいて病み始めたので期待以上の演技を見せることが明らかだ。
そのように三十才に向かって一歩先に進む俳優ヒョンビン.
そのように夢見る三十才,そして三十才以後にどんな演技を見せるのか気がかりだ。


[私は幸福です②]イ・ボヨン,私を消した後に出会ったまた違う私?
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イ・ボヨンは<私は幸せです>をとりながら,他の映画現場ではなかった苛酷な経験をした。
彼女の表現を借りようとするなら“2ヶ月間軍隊を行ってきたようだ”とする程大変な時間だった。
彼女も厳格なユン・ジョンチャン監督の現場に対しては十分聞いて知っていたが,それでも予想よりはるかに険しい旅程が自身を待っていたという。
そうしたので撮影が終わって1年がはるかに過ぎたのに相変らずその時の体験を生き生きと記憶しているのかも分からない。
インタビューをしながらふと当時の経験が脳裏をかすめたのか感情が高ぶった彼女は目じりに涙が溜まることさえした。
<私は幸せです>はスギョンの後ろ姿を観察する作品だ。
スギョンが髪の毛をしっかり縛る場面で始めるこの映画は彼女の後ろ姿をのがさないで表わす。
お父さんの応急室に向かって走っていく時も,窓の側に立って,遠方を眺める時もカメラは彼女の後をこまめに追いかけて行く。
レンズ向こう側でスギョンを眺めるカメラの視線には残念さと寂しさが埋めている。
絶望的な現実にある人の後ろ姿はそれ自体でうらさびしいが,スギョンはそのイメージをものさびしく表現して出した。
“初めてシナリオを見て果たして私が上手にすることができるだろうか”悩んだ彼女は“まったく意欲が出はしなかったが,一度挑戦してみたかった”と話す。
‘周辺でなぜ大変な道を選択するか’と引き止めたが,すでに覚悟した状態であった。
演技を上手くしたい欲望が彼女の胸の中でグツグツ煮立ったためだった。
それで‘きつく決心して今回一度死んでみよう’と入った。
予想通りやはり現場は容易でなかった。
ユン・ジョンチャン監督は彼女の歩き方一つ,表情,はなはだしきは語り口まで満遍なく指摘しながら“そのような形ですることならば後ほど編集する時,みな飛ばしてしまうことだ”と脅した。
自尊心が傷つけられて力がずっと陥る言葉だった。
しかし彼女は自身の決心をあきらめたくなかった。
“監督様がわざわざそうするのは分かってたのに,それでもずっとなのでなぜ私はこれしかならないだろうか,どのようにすればもっと上手くやることができようかと思いながら,むしろさらにがんばったようだ。”
極端な感情を要求するスギョンが自身の境遇をよく表現するようにするためのユン・ジョンチャン監督の処方スタイルはイ・ボヨンをさらに刺激した。
“序盤にほとんどセリフがない場面を撮った。
ほとんど2週間話をしなかったが,後ほど見ると唇がぶよぶよはれたよ。
そのように苦労したことは初めてだが,その過程で私が分からなかった私の姿を発見したようだ。”大変に積み上げた石塔に最後の石をのせる人の妙な表情が顔を通り過ぎた。
これまでのイ・ボヨンのフィルモグラフィーを見ればスギョンは今までのイメージとは完全に違った地点から出発する。
<僕の兄>での切ないイメージや<卑劣な通り>で見えた弱気な姿を脱いで,冷たくてかたい現実を向き合ったキャラクターに新たに出る。
“事実今まで生きながらスギョンのように人生に起伏があってたのではないから,彼女の状況を想像にだけ依存しなければならなかった”として“それでできるだけ私の中にあるすべての感情をかいて,表現しようと努めた”と打ち明ける。
おかげでイ・ボヨンは清純できれいな既存のイメージを脱いで,完全にスギョンになることができた。
あたかも演技を通して修養したような心がけを持って。
“この映画は男と女の関係を扱った作品というよりは人間と人間の疎通を描いた映画だ。”自身が待って期待できる誰かに憐憫を感じる時,新しい疎通が始まるということがイ・ボヨンの考えだ。
‘人間の内面を探求する,少しは哲学的な映画という印象を受けた’と話そう“それでもとても真剣な映画ではない。
人に集中してみれば良い”という答が戻る。
彼女の話のように<私は幸せです>は絶望に陥った二人がどのように絶望で歩いて出るかを観察した作品だ。
イ・ボヨンはインタビュー途中涙を浮かべた。
“現場で監督様がエンニオ・モリコーネの音楽をかけてくれたのに,撮影終わってあるカフェで音楽を聞いた時,何の理由なしでいきなり涙をこぼした”ということだ。
明確に<私は幸せです>は俳優イ・ボヨンを他の世界に連れて行った作品だ。
この映画での経験は彼女に冒険とも同じ挑戦だったが,長い旅行してきた人が持つことができる余裕と大胆さを胸いっぱい抱くようにした。
それはあたかも汚名をすすいだ蛇のように新しかった。
これからイ・ボヨンが見せる演技が期待される理由だ。
2009-11-20イ・ユジン記者
(出処:movieweek)
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